文の林

つたない文章の雑木林です

透明夫婦

男の人は小さい頃、透明人間になって
女湯に入りたいと想像したものだ。
女の人は透明人間になって、ひそかに
彼氏の部屋に忍び込みたいと考えて
いた人もいるだろう。

私達夫婦は、もう10年以上「透明夫婦」だ。
小さいながら一軒家に住んでいる。
子供は結婚して離れた場所に住んでいる。
所詮、夫婦は血の繋がりがない他人だ。
子供が育って家から居なくなったのならば
夫婦でいる必要はないだろう。
寝るのは別々の部屋。
夫婦の平日の1日の会話時間は30分未満が
5割位らしい。
私達夫婦の会話時間は平日休日にかかわらず
1分未満だ。
会話をすれば喧嘩になってしまうからだ。
喧嘩はしたくないので、何も言わなくなる。
夫婦って二人揃って相乗効果、1プラス1が
3なったり4になったりするだろう。
我が家では二人揃うと相殺効果、
1プラス1が1.3とか0.8になったりする。
干渉はしない、自分の世界で生きることだ。
妻は水になり、私は貝になった。

私は家の中では極力音を出さないように、
戸やドアはスゥーッと静かに閉める。
トイレットペーパーはカラカラ回る音を
出さないようにゆっくりと引き出す。
歩くときはすり足で、私の存在を消すように、
周りは見ないで足元だけを見て歩く。
妻はテレビの音声はイヤホンで聞いた。
家の中はいつも静かだ。

私は仕事に専念、妻は家事を行ってくれる。
食卓に出てきたものは、文句言わず食べる。
同じ食事が数日間続いても、
味や品数に不満があってもだ。
私達夫婦はコロナ禍前から黙食だ。
「いただきます」「ごちそうさま」は
食事を作った人への感謝として言う。

独り言を言ってもつまらないので、
「おはよう」「おやすみなさい」
「行ってきます」「ただいま」「おかえり」は
我が家では死語となった。
私は、妻のことを透明人間だと思っている。
妻も、私を透明人間だと思っているようだ。
お互い様だ。

家の前を近所のおばさんが歩いていく。
「この家のご夫婦が亡くなってから
もう3年経つかしら、
ご主人、物静かで穏やかだったわね」
もう一人のおばさんが
「あら、奥さんだって、いつも笑顔で
おしとやかだったわね、
お似合いの夫婦で、私たちも
ここの夫婦のようにならなくてはって
話していたわよね」
「ご主人が会社の事務所で心筋梗塞で、
奥さんは同じ日に買い物途中で交通事故で
亡くなったのよね」
「同じ日に亡くなるなんて、どこまで
仲が良いのって、驚いたのを覚えているわ」

今日も、私は妻の動きは見えていない。
妻の声や出す音も聞こえてこない。
妻も私と同じように感じていることだろうか。
そういえば、このところ「いただきます」って
言っていないなぁ。